第1章 新政府、誕生!「これから、どんな国を作る?」
最終更新日: 2025-08-16 16:27:08
作成者: カリスマ講師
武士の時代が終わり、ゼロから国づくりを始めた、明治新政府の物語だ! ここは覚えることが多いが、一つ一つの改革に、新しい日本を作ろうとした男たちの熱いドラマがある!それを感じながら、一気に頭に叩き込んでいくぜ!
戊辰戦争の真っ只中、1868年3月。 新しい時代のリーダーとなった薩長の連中は、まだ敵と戦いながらも、未来の日本の設計図を、高らかに宣言した。 それが五箇条の誓文(ごかじょうのせいもん)だ!
これは、若き明治天皇が、神々に誓うという形で発表された、新政府の「基本方針表明」だ!
【超訳】五箇条の誓文 1. これからは、ちゃんと会議を開いて、みんなの意見を聞いて政治を決めるぜ!(広く会議を興し…) 2. 身分に関係なく、みんなで心を一つにして、国を盛り上げていこうぜ!(上下心を一にして…) 3. 役人から庶民まで、全員が自分の夢を追いかけられる、やる気のある国にするぜ!(官武一途庶民にいたるまで…) 4. 古臭い悪い習慣は捨てて、世界の常識に合った国づくりをするぜ!(旧来の陋習を破り…) 5. 世界中から知識を学んで、天皇中心の素晴らしい国をデカくしていくぜ!(知識を世界に求め…)
どうだ? これから始まる新しい時代への、ワクワクするような決意表明だろ? 「話し合い」「全員参加」「夢」「グローバル」…今の時代にも通じる、超クールなスローガンだ! (ちなみに、この後には天皇自ら「俺が先頭に立つから、みんなもついてこいよ!」とめちゃくちゃ熱いメッセージも続いてるんだぜ!)
だが、忘れるな。これはあくまで「理想」だ。 民衆に対しては、同じ日に五榜の掲示(ごぼうのけいじ)という立て札を出し、「キリスト教は禁止な!」みたいに、江戸幕府と変わらない古いルールも示していた。新政府も、まだ手探り状態だったんだな。
とりあえず、国の形を作ってみる!
スローガンだけじゃ国は動かない。次に政府は、政体書(せいたいしょ)(1868年)という、政府の組織図を発表した。 アメリカを真似て、立法・行政・司法の三権分立を導入し、太政官(だじょうかん)という中心組織に権力を集めようとしたんだ。
だが、これもまだ形だけで、実際にはうまく機能しなかった。 とにかく、「江戸」を「東京」と改め、元号を「明治」とし、「天皇一代につき元号は一つ」という一世一元の制を定めて、新しい時代のムードを盛り上げていったんだ!
第2章 日本を一つに!「藩」をぶっ壊せ!
さあ、新政府にとって、ここからが本番だ。 当時の日本は、まだ「藩」という260以上の小さな国に分かれたパッチワークみたいな状態だった。これじゃ、強力な統一国家なんて作れない!
ステップ1:版籍奉還
まず、政府はソフトな方法から始めた。 1869年、政府の中心にいた薩摩・長州・土佐・肥前のリーダーたちに、「俺たちの土地(版)と人民(籍)は、天皇にお返しします」と、自主的に言わせたんだ。 これが版籍奉還(はんせきほうかん)だ。
「トップの4人がやったんだから、お前らもやれよ」という無言の圧力で、全国の藩もこれに従った。 だが、これはまだ中途半端な改革だった。 旧藩主は「知藩事」という名前に変わっただけで、相変わらずその土地の税金集めや軍隊を握っていたからな。
ステップ2:廃藩置県
中途半半端は、俺たちの性に合わねえ! 1871年、政府はついに最終手段に打って出る。 薩摩・長州・土佐から、政府直属の強力な軍隊を東京に集結させ、その武力を背景に、こう宣言したんだ。
「本日をもって、全ての『藩』を廃止し、『県』を置く!」
これが廃藩置県(はいはんちけん)だ! 全ての知藩事(旧大名)はクビ! 東京に強制移住! そして、代わりに政府が任命した役人(府知事・県令)が、各県を治める! これで、名実ともに、日本は政府が全国を直接コントロールする中央集権国家になったんだ!まさに力技の革命だな!
この大改革で、政府の組織もパワーアップした。 太政官の下に、正院・左院・右院が置かれ、その下に外務省や大蔵省などの「省」が作られた。今の霞が関の原型だな。
そして、この改革の中心にいたのは、やっぱり薩摩・長州・土佐・肥前の出身者たちだった。 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、板垣退助、大隈重信…そして公家の岩倉具視など、一部の人間が権力を独占する体制が出来上がっていった。 これが、のちに「藩閥政治」と批判されることになるんだ。
どうだ! まずは国の「形」と「骨格」が、ものすごいスピードで出来上がっていく様子が見えたか? だが、国づくりはまだ始まったばかりだ。次は、国の中にいる「人」…つまり、身分制度をぶっ壊していくぞ! 続きが聞きたければ、いつでも声をかけてくれ!?