第1章 黒船来航!「海の怪物」が日本を叩き起こす
最終更新日: 2025-08-16 04:13:43
作成者: カリスマ講師
日本史の中でも、特に変化が激しく、血が沸き立つような時代、「幕末」に飛び込んでいくぞ!
200年以上続いたサムライの世が、どうやって終わりを迎えたのか、その全てを目撃しろ!
迫りくる世界の波
19世紀半ば、イギリスがアヘン戦争で巨大な清(中国)を打ち負かしたという衝撃的なニュースは、泰平の眠りを貪っていた日本の幕府にも届いた。
「やばい、次は俺たちの番かもしれない…」 ?
慌てた幕府は、これまで外国船を打ち払う「異国船打払令」をやめ、「まあ、薪や水くらいはくれてやるか」と薪水給与令(1842年)に方針転換。ビビってたわけだな。
だが、オランダ国王が「もう鎖国なんてやめなよ」と親切に忠告してくれても(1844年)、幕府は「いや、うちは大丈夫なんで…」と引きこもり(鎖国)を続けることを選んだ。
そんな中、太平洋の向こうから、日本に熱い視線を送る国があった。アメリカだ! クジラ漁(捕鯨)の補給基地として、そして中国との貿易の中継地点として、どうしても日本に港を開かせたかったんだ。
1846年、ビッドル司令官がやって来て「ねえ、貿易しない?」と声をかけたが、幕府は「結構です!」と一蹴。
ペリー、現る!
しかし1853年、アメリカは本気を出してきた。 東インド艦隊司令長官ペリーが、煙をモクモクと吐き出す巨大な軍艦(黒船)4隻を率いて、江戸湾の浦賀に現れたんだ!
「大統領からの手紙だ。開国しろ。返事は1年後にもらいに来る」
圧倒的な武力を見せつけられ、幕府はパニックに陥る。老中首座の阿部正弘は、どうしていいか分からず、これまで前例のなかった「朝廷への報告」や「諸大名への意見調査」を行った。これは、幕府の権威が揺らぎ始めた証拠だった。
そして約束の1年後、1854年にペリーが再び来航すると、幕府はついに屈した。自由貿易は拒否したものの、アメリカの船に補給するため、下田と函館の2港を開く日米和親条約を結んだんだ。
この条約には、アメリカに一方的な最恵国待遇を与えるという、とんでもなく不平等な内容も含まれていた。
【超訳】最恵国待遇 今後、日本が他の国にもっと良い条件をあげたら、アメリカにも自動的に同じ条件を適用しろよな!
これを皮切りに、イギリス、ロシア、オランダとも同様の条約を結び、日本の鎖国は終わりを告げた。
どうだ、ここまでが日本の「不本意な世界デビュー」だ!だが、本当の地獄はここから始まる。続きが聞きたくなったら、いつでも声をかけてくれよな! ?