なぜ「国家」なんてものができたのか?~みんなの"安全基地"
最終更新日: 2025-06-02 11:22:47
作成者: カリスマ講師
前回は「民主主義ってなんだ?」の入り口として、国家の成り立ちや、ホッブズ、ロック、ルソーといった超重要思想家たちの名前を挙げたよな。
じゃあ早速、「国家と民主主義の出会い」の核心に迫っていくぞ!
1. なぜ「国家」なんてものができたのか?~みんなの"安全基地"~
想像してみてくれ。大昔、まだ国なんてものがなかった時代。いつ誰に襲われるか分からない、自分のものは自分で守るしかない…そんなサバイバルな毎日、結構しんどいよな?💦
- ホッブズ先生の考え:「ほっといたら、みんな敵同士だぜ!」
- イギリスの思想家ホッブズは、「自然状態(国家がない状態)は"万人の万人に対する闘争"だ!」って言ったんだ。つまり、みんなが自分の欲望のままに行動したら、そこはもう戦場状態。だから、「みんなでルールを決めて、それを守らせる強い力(国家)が必要だ!」って考えたんだな。イメージとしては、最強の用心棒をみんなでお金を出し合って雇う感じかな?
- 受験ポイント!: ホッブズの主著『リヴァイアサン』。このリヴァイアサンってのは、旧約聖書に出てくる海の怪物のことで、強力な国家権力を象徴してるんだ。
- イギリスの思想家ホッブズは、「自然状態(国家がない状態)は"万人の万人に対する闘争"だ!」って言ったんだ。つまり、みんなが自分の欲望のままに行動したら、そこはもう戦場状態。だから、「みんなでルールを決めて、それを守らせる強い力(国家)が必要だ!」って考えたんだな。イメージとしては、最強の用心棒をみんなでお金を出し合って雇う感じかな?
- ロック先生の考え:「"生まれながらの権利"を守るためだろ!」
- 同じくイギリスのロックは、もうちょっと人間を信じてた。「いやいや、人間には生まれながらにして持ってる権利(自然権)、つまり生命、自由、そして財産を守る権利があるんだ!」って。でも、その権利が侵害されたとき、個人で解決するのは難しい。だから、みんなで契約を結んで国家を作り、その権利をより確実に守ってもらおうぜ!って考えたんだ。 さらにロックは、「もし政府が国民の権利を不当に侵害するなら、国民は政府に抵抗してもいいし、新しい政府を作っちゃってもOK!(抵抗権・革命権)」とまで言ったんだ。これは画期的だったぜ!
- 受験ポイント!: ロックの主著『統治二論(市民政府二論)』。アメリカ独立宣言にめちゃくちゃ影響を与えたんだ。
- 同じくイギリスのロックは、もうちょっと人間を信じてた。「いやいや、人間には生まれながらにして持ってる権利(自然権)、つまり生命、自由、そして財産を守る権利があるんだ!」って。でも、その権利が侵害されたとき、個人で解決するのは難しい。だから、みんなで契約を結んで国家を作り、その権利をより確実に守ってもらおうぜ!って考えたんだ。 さらにロックは、「もし政府が国民の権利を不当に侵害するなら、国民は政府に抵抗してもいいし、新しい政府を作っちゃってもOK!(抵抗権・革命権)」とまで言ったんだ。これは画期的だったぜ!
- ルソー先生の考え:「みんなの"本当の想い"を実現するためさ!」
- フランスのルソーは、もうちょいロマンチストだったかもしれない。「個人個人が持ってるバラバラな意思(特殊意志)じゃなくて、社会全体の共通の利益を目指す意思(一般意志)こそが大事なんだ!」って。そして、その一般意志に基づいて政治を行うために、国家が必要なんだって考えた。彼は、みんなが直接政治に参加する「直接民主制」を理想としたんだ。
- 受験ポイント!: ルソーの主著『社会契約論』。「人間は自由なものとして生まれた。しかし、いたるところで鎖につながれている」っていう有名な言葉がある。
- フランスのルソーは、もうちょいロマンチストだったかもしれない。「個人個人が持ってるバラバラな意思(特殊意志)じゃなくて、社会全体の共通の利益を目指す意思(一般意志)こそが大事なんだ!」って。そして、その一般意志に基づいて政治を行うために、国家が必要なんだって考えた。彼は、みんなが直接政治に参加する「直接民主制」を理想としたんだ。
これらの考え方をまとめて**「社会契約説」**って言うんだ。バラバラだった個人が、「もっとマシな生活を送るために、みんなで約束事(契約)をして国家を作ろうぜ!」っていう考え方だな。これが、後の民主主義国家が生まれるための、超重要な土台になったんだ。
2. 「王様の言うことは絶対!」からの大脱出!~市民革命の嵐~
さあ、国家ができて、しばらくは王様や皇帝が絶対的な力を持つ時代(絶対王政)が続いた。 「朕は国家なり!」なんて言っちゃう王様もいたくらいだ(フランスのルイ14世ね)。
でも、「おかしいだろ、それ!」って立ち上がる人たちが出てくる。それが**「市民革命」**だ! きっかけは、重い税金だったり、不自由な身分制度だったり、いろいろだけど、根っこにはさっきのロックみたいな「俺たちの権利はどうなってるんだ!」っていう想いがあったんだな。
- イギリス:「議会がNo.1だ!」への道
- 清教徒革命(1642年~):王様と議会がガチバトル!クロムウェルっていうリーダーが活躍した。
- 名誉革命(1688年):血をあまり流さずに、王様の力を制限して議会の権利を確立!「権利の章典」っていう文書で、「これからは議会が中心で政治やるからな!」って宣言したんだ。これが立憲君主制(王様はいるけど、憲法と議会に従う)の始まりだ。
- アメリカ:「自由と独立を勝ち取れ!」
- アメリカ独立革命(1775年~):イギリス本国からの重税とか支配に対して、「代表なくして課税なし!」をスローガンに独立戦争!
- 1776年の「独立宣言」には、ロックの思想が色濃く反映されてる。「すべての人間は平等につくられ、生命、自由、幸福追求の権利を神から与えられている」って、カッコよすぎだろ!
- フランス:「自由・平等・博愛!」の叫び
- フランス革命(1789年~):バスティーユ牢獄襲撃から始まって、王政をぶっ倒した、まさに革命!
- 「フランス人権宣言」では、人間の自由と平等、国民主権、権力分立なんかが高らかに宣言されたんだ。
これらの市民革命は、たくさんの犠牲を出しながらも、「政治の主役は王様じゃなくて、俺たち国民なんだ!」っていう「国民主権」の考え方や、「国家権力も憲法で縛られるべきだ!」っていう「立憲主義」の考え方を、世界に広める大きな力になったんだぜ!
おおっと!ここで歴史の深掘り、キターーー!いいね、その知的好奇心、最高だぜ!👍 「清教徒革命」、まさにイギリスが、そして世界の民主主義が大きく動いた、超ド級の歴史的イベントだ。ここを理解すると、なぜイギリスがあんな議会政治の国になったのか、そして俺たちが今当たり前のように享受している「権利」ってやつが、いかに血と汗と涙の結晶なのかが、よーく分かるんだ。
よっしゃ、今の「物価高」の話から一時的にタイムスリップして、17世紀のイギリス、激動の時代へ一緒に旅してみようじゃないか!
清教徒革命~王様まっさお!市民が立ち上がった日~
時代は17世紀前半のイギリス!まず、背景をガッチリ押さえよう!
当時のイギリスは、いくつかの大きな「火種」を抱えていたんだ。
- 宗教がアツい!「俺たちの信仰がNo.1!」
- イギリスの国教は「イギリス国教会」っていって、国王がそのトップ(首長)だった。でも、国内にはもっと厳格に聖書の教えを守りたい!っていう熱心なプロテスタントたちがいた。彼らが**「清教徒(ピューリタン)」**だ。
- 清教徒たちは、国教会の儀式がカトリックっぽくて気に入らないし、国王が教会のトップってのも「なんか違うだろ!」って思ってたんだ。もっとシンプルに、もっと純粋に神様を信じたい!ってわけだ。
- 王様がやりたい放題!?「王の言うことは絶対!」の王権神授説
- 当時の国王、ジェームズ1世とその息子チャールズ1世は、「王の権力は神様から授かったもんだから、国民は黙って言うこと聞け!」っていう**「王権神授説」**を信じてた。
- だから、国民の代表が集まる議会なんて、うっとうしい存在。税金取る時だけ利用して、あとはできるだけ無視したい、って考えてたんだ。
- お金がない!「戦争したいけど、カネがない!どうする?」
- チャールズ1世は、スペインとかフランスとか、外国と戦争ばっかりしてた。戦争には莫大なお金がかかるよな? でも、新しい税金を取るには議会の承認が必要。
- そこでチャールズ1世は、議会を無視して、昔の税金(トン税・ポンド税とか船舶税とか)を無理やり国民から取り立てたりし始めたんだ。当然、国民も議会も「ふざけんな!」って怒り心頭だ。
火種が爆発!革命へのカウントダウン!
- 「権利の請願」(1628年): 議会は「もう我慢できん!」って、チャールズ1世に「不法な課税や逮捕はやめてください!」っていうお願い書(権利の請願)を突きつけた。国王はしぶしぶ認めたけど、すぐにこれを無視して、なんとその後11年間も議会を開かない**「専制政治(無議会政治)」**をやっちゃうんだ。国民の怒りは頂点に!
- 議会、ついにキレる!: スコットランドで宗教がらみの反乱が起きて、その戦費欲しさにチャールズ1世がまた議会を召集。でも、議会は「金出す前に、これまでの不満をどうにかしろ!」って大紛糾。短期で解散(短期議会)。でも、またすぐ召集(長期議会)。この長期議会で、国王の側近たちが次々と弾劾されたりして、国王と議会の対立はもう修復不可能なレベルに!
内乱勃発!血で血を洗う戦いへ…
ついに、1642年、国王を支持する王党派(騎士派)と、議会を支持する議会派(円頂党、清教徒が中心だ)の間で、内戦が始まっちゃうんだ。これが清教徒革命(ピューリタン革命とも言う)の本番だ。
- 救世主登場!? オリバー・クロムウェル! 最初は王党派が有利だったんだけど、議会派に一人の天才が現れる。それがオリバー・クロムウェルだ! 彼は信仰心に厚いジェントルマン(地主階級)で、鉄のように固い規律を持つ**「鉄騎隊」**っていう最強部隊を作り上げて、次々と王党派を打ち破っていくんだ。
衝撃!国王チャールズ1世、処刑される!
クロムウェル率いる議会派の活躍で、内戦は議会派の勝利に終わる。そして、世界を揺るがす大事件が起きる。 1649年、捕らえられた国王チャールズ1世が、なんと裁判にかけられて**「専制君主にして反逆者」として死刑判決**を受け、処刑されちゃうんだ! 「神から権力を授かったはずの王様が、国民によって裁かれ、殺される」――これは、当時のヨーロッパ中の王様たちを震え上がらせた、前代未聞の出来事だった。
王様がいなくなった!共和政(コモンウェルス)の時代へ
国王がいなくなったイギリスは、**共和政(コモンウェルス)**を宣言。貴族中心の上院も廃止されて、クロムウェルが事実上のトップとして国を治めることになる。
- クロムウェルの政治:
- アイルランドとスコットランドを征服: 特にアイルランドでは、カトリック教徒を徹底的に弾圧して、土地を取り上げた。これは後々まで禍根を残すことになる。
- 航海法(1651年): オランダの中継貿易を邪魔して、イギリスの海運業を保護するための法律だ。これが原因で、イギリスとオランダは戦争になったりもした(英蘭戦争)。イギリスが「海の覇者」になるための第一歩とも言えるな。
- 護国卿(ロード・プロテクター)に就任: クロムウェルは、より強力な権力を手に入れるために「護国卿」っていう地位に就任する。でも、だんだん独裁的になっていって、議会を解散したり、軍事力で国を抑えつけたりするようになるんだ。
- ピューリタン的厳格政治: 清教徒の価値観に基づいて、お酒やギャンブル、演劇なんかの娯楽を禁止したりした。これが、国民からは「ちょっと厳しすぎるよ…」って不評を買ったりもした。
革命の終わりと、その大きな置き土産
あれだけパワフルだったクロムウェルも、1658年に病死。息子のリチャードが後を継だけど、親父ほどのカリスマも指導力もなく、国内はまた大混乱。 「もう、こんなゴタゴタはうんざりだ…やっぱり王様がいた方がいいんじゃないか?」っていう空気が高まって、1660年、亡命していたチャールズ1世の息子、チャールズ2世が国王として迎え入れられて、王政が復活する(王政復古)。
こうして、清教徒革命は、一時的な共和政に終わった。 でもな、この革命が歴史に残した「置き土産」は、とてつもなく大きかったんだ!
- 「王様も法には従え!」: 国王の好き勝手な政治はもう許さないぞ!っていう意識が国民に芽生えた。
- 「議会って大事じゃん!」: 国民の代表が集まる議会の重要性が、再認識された。
- 後の「名誉革命」への布石: この革命の経験があったからこそ、後の名誉革命(1688年)で、よりスムーズに(比較的血を流さずに)立憲君主制と議会政治が確立されることになるんだ。
- 「国民が国を決める」思想の芽生え: 国民が国王を処刑したという事実は、王権神授説を根底から揺るがし、「国の主権は国民にあるんじゃないか?」っていう、近代的な民主主義思想の大きなきっかけになった。ホッブズとかロックみたいな、超有名な思想家たちも、この革命の時代背景の中で、国家とは何か、社会契約とは何か、ってことを深く考えたんだぜ。
…というわけで、清教徒革命は、血なまぐさい戦いや混乱、独裁もあったけど、その中から、俺たちが今当たり前だと思っている「自由」や「権利」、「議会制民主主義」といったものの、かよわいけど確かな芽が吹き出してきた、めちゃくちゃ重要な時代だったんだ!
この歴史を知っていると、なぜイギリスの議事堂があんなに立派で、なぜニュースで「議会の決定が…」ってしょっちゅう言われるのか、その重みが分かってくるよな。
どうだい?国家がどうやって生まれて、民主主義の種がどうやって蒔かれたか、少しイメージできたかな? 思想家たちの熱い想いや、革命を起こした人々の勇気が、今の私たちの社会の基礎になっているって思うと、なんだか胸が熱くならないか?🔥
さあ、この「国民主権」や「立憲主義」っていう超重要キーワードが、次はどうやって具体的なルールブック、つまり「憲法」に結びついていくのか。次回はそこをガッツリ見ていこうぜ!
質問はあるかい?「ここ、もうちょい詳しく!」とか「この時代の日本の状況は?」とか、何でも聞いてくれよな!😎