高校の政治・経済

なぜ「国家」なんてものができたのか?~みんなの"安全基地"

最終更新日: 2025-06-02 11:22:47

作成者: カリスマ講師

前回は「民主主義ってなんだ?」の入り口として、国家の成り立ちや、ホッブズ、ロック、ルソーといった超重要思想家たちの名前を挙げたよな。

じゃあ早速、「国家と民主主義の出会い」の核心に迫っていくぞ!

1. なぜ「国家」なんてものができたのか?~みんなの"安全基地"~

想像してみてくれ。大昔、まだ国なんてものがなかった時代。いつ誰に襲われるか分からない、自分のものは自分で守るしかない…そんなサバイバルな毎日、結構しんどいよな?💦

これらの考え方をまとめて**「社会契約説」**って言うんだ。バラバラだった個人が、「もっとマシな生活を送るために、みんなで約束事(契約)をして国家を作ろうぜ!」っていう考え方だな。これが、後の民主主義国家が生まれるための、超重要な土台になったんだ。

2. 「王様の言うことは絶対!」からの大脱出!~市民革命の嵐~

さあ、国家ができて、しばらくは王様や皇帝が絶対的な力を持つ時代(絶対王政)が続いた。 「朕は国家なり!」なんて言っちゃう王様もいたくらいだ(フランスのルイ14世ね)。

でも、「おかしいだろ、それ!」って立ち上がる人たちが出てくる。それが**「市民革命」**だ! きっかけは、重い税金だったり、不自由な身分制度だったり、いろいろだけど、根っこにはさっきのロックみたいな「俺たちの権利はどうなってるんだ!」っていう想いがあったんだな。

これらの市民革命は、たくさんの犠牲を出しながらも、「政治の主役は王様じゃなくて、俺たち国民なんだ!」っていう「国民主権」の考え方や、「国家権力も憲法で縛られるべきだ!」っていう「立憲主義」の考え方を、世界に広める大きな力になったんだぜ!

 

おおっと!ここで歴史の深掘り、キターーー!いいね、その知的好奇心、最高だぜ!👍 「清教徒革命」、まさにイギリスが、そして世界の民主主義が大きく動いた、超ド級の歴史的イベントだ。ここを理解すると、なぜイギリスがあんな議会政治の国になったのか、そして俺たちが今当たり前のように享受している「権利」ってやつが、いかに血と汗と涙の結晶なのかが、よーく分かるんだ。

よっしゃ、今の「物価高」の話から一時的にタイムスリップして、17世紀のイギリス、激動の時代へ一緒に旅してみようじゃないか!

清教徒革命~王様まっさお!市民が立ち上がった日~

時代は17世紀前半のイギリス!まず、背景をガッチリ押さえよう!

当時のイギリスは、いくつかの大きな「火種」を抱えていたんだ。

  1. 宗教がアツい!「俺たちの信仰がNo.1!」
    • イギリスの国教は「イギリス国教会」っていって、国王がそのトップ(首長)だった。でも、国内にはもっと厳格に聖書の教えを守りたい!っていう熱心なプロテスタントたちがいた。彼らが**「清教徒(ピューリタン)」**だ。
    • 清教徒たちは、国教会の儀式がカトリックっぽくて気に入らないし、国王が教会のトップってのも「なんか違うだろ!」って思ってたんだ。もっとシンプルに、もっと純粋に神様を信じたい!ってわけだ。
  2. 王様がやりたい放題!?「王の言うことは絶対!」の王権神授説
    • 当時の国王、ジェームズ1世とその息子チャールズ1世は、「王の権力は神様から授かったもんだから、国民は黙って言うこと聞け!」っていう**「王権神授説」**を信じてた。
    • だから、国民の代表が集まる議会なんて、うっとうしい存在。税金取る時だけ利用して、あとはできるだけ無視したい、って考えてたんだ。
  3. お金がない!「戦争したいけど、カネがない!どうする?」
    • チャールズ1世は、スペインとかフランスとか、外国と戦争ばっかりしてた。戦争には莫大なお金がかかるよな? でも、新しい税金を取るには議会の承認が必要。
    • そこでチャールズ1世は、議会を無視して、昔の税金(トン税・ポンド税とか船舶税とか)を無理やり国民から取り立てたりし始めたんだ。当然、国民も議会も「ふざけんな!」って怒り心頭だ。

火種が爆発!革命へのカウントダウン!

内乱勃発!血で血を洗う戦いへ…

ついに、1642年、国王を支持する王党派(騎士派)と、議会を支持する議会派(円頂党、清教徒が中心だ)の間で、内戦が始まっちゃうんだ。これが清教徒革命(ピューリタン革命とも言う)の本番だ。

衝撃!国王チャールズ1世、処刑される!

クロムウェル率いる議会派の活躍で、内戦は議会派の勝利に終わる。そして、世界を揺るがす大事件が起きる。 1649年、捕らえられた国王チャールズ1世が、なんと裁判にかけられて**「専制君主にして反逆者」として死刑判決**を受け、処刑されちゃうんだ! 「神から権力を授かったはずの王様が、国民によって裁かれ、殺される」――これは、当時のヨーロッパ中の王様たちを震え上がらせた、前代未聞の出来事だった。

王様がいなくなった!共和政(コモンウェルス)の時代へ

国王がいなくなったイギリスは、**共和政(コモンウェルス)**を宣言。貴族中心の上院も廃止されて、クロムウェルが事実上のトップとして国を治めることになる。

革命の終わりと、その大きな置き土産

あれだけパワフルだったクロムウェルも、1658年に病死。息子のリチャードが後を継だけど、親父ほどのカリスマも指導力もなく、国内はまた大混乱。 「もう、こんなゴタゴタはうんざりだ…やっぱり王様がいた方がいいんじゃないか?」っていう空気が高まって、1660年、亡命していたチャールズ1世の息子、チャールズ2世が国王として迎え入れられて、王政が復活する(王政復古)

こうして、清教徒革命は、一時的な共和政に終わった。 でもな、この革命が歴史に残した「置き土産」は、とてつもなく大きかったんだ!

…というわけで、清教徒革命は、血なまぐさい戦いや混乱、独裁もあったけど、その中から、俺たちが今当たり前だと思っている「自由」や「権利」、「議会制民主主義」といったものの、かよわいけど確かな芽が吹き出してきた、めちゃくちゃ重要な時代だったんだ!

この歴史を知っていると、なぜイギリスの議事堂があんなに立派で、なぜニュースで「議会の決定が…」ってしょっちゅう言われるのか、その重みが分かってくるよな。

 

どうだい?国家がどうやって生まれて、民主主義の種がどうやって蒔かれたか、少しイメージできたかな? 思想家たちの熱い想いや、革命を起こした人々の勇気が、今の私たちの社会の基礎になっているって思うと、なんだか胸が熱くならないか?🔥

さあ、この「国民主権」や「立憲主義」っていう超重要キーワードが、次はどうやって具体的なルールブック、つまり「憲法」に結びついていくのか。次回はそこをガッツリ見ていこうぜ!

質問はあるかい?「ここ、もうちょい詳しく!」とか「この時代の日本の状況は?」とか、何でも聞いてくれよな!😎

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