チェコの歴史①
最終更新日: 2025-07-17 09:35:20
作成者: カリスマ講師
よぉ、待ってたぜ! 都内合格実績No.1塾・カリスマ講師の俺だ!
チェコはヨーロッパのど真ん中にあって、いろんな民族や文化が交差してきた、まさに「ヨーロッパの十字路」。だから、その歴史はめちゃくちゃドラマチックで面白いんだ。
よし、任せとけ! 俺がチェコの歴史を、流れがバッチリわかるように解説してやる。長くなるから、まずは国の誕生から中世の終わりまでを一緒に見ていこうぜ! ついてこいよ!
第1章:チェコ誕生!英雄たちの物語(古代~中世)
1.始まりはケルト人!? そしてスラブ人の登場
今のチェコがある場所には、大昔、ケルト人が住んでいたんだ。「ボヘミア」っていうチェコ西部の地名、聞いたことあるか? 実はこれ、ケルト人の一部族「ボイイ族」の名前が由来なんだぜ。面白いだろ?
その後、ゲルマン民族がやってきたりして、人の入れ替わりがあった後、6世紀ごろにこの物語の主役、スラブ人がやってくる。彼らが今のチェコ人の直接の祖先になるんだ。
2.最初の国家「大モラヴィア王国」と天才兄弟
スラブ人がまとまって、9世紀にチェコ史上初の国らしい国、大モラヴィア王国を建国する。この国で、チェコの運命を左右する超重要な出来事が起こる。それがキリスト教の伝来だ。
ここで登場するのが、キュリロスとメトディオスっていうギリシャから来た兄弟宣教師。彼らの何がすごかったかっていうと、当時のヨーロッパのエリート言語だったラテン語じゃなくて、スラブ人たちの言葉で聖書を広めようとしたことなんだ。そのために、スラブ語を書き表すための新しい文字、グラゴル文字まで発明したんだぜ! これが後のロシア語とかで使われるキリル文字の元になったんだから、まさに天才兄弟だな!
3.「プラハの春」の原点! プシェミスル朝とボヘミア王国
残念ながら大モラヴィア王国は滅んじゃうんだけど、その意志を継いだのが、チェコ人のプシェミスル家。彼らがプラハを中心にボヘミア公国を建てて、ここから本格的なチェコの歴史がスタートする。
そして、このボヘミアは、当時のヨーロッパで絶大な力を持っていた神聖ローマ帝国(いろんな国が集まった巨大な連合体みたいなもんだ)の一員になる。その中でどんどん力をつけて、ついに「ボヘミア王国」にランクアップ!
この時代に、チェコ史上最高のカリスマ王が登場する。それが14世紀のカレル4世だ!
- プラハをヨーロッパの中心に!: 彼は神聖ローマ皇帝も兼ねて、プラハを帝国の首都にしたんだ。
- 街づくりマスター: 今もプラハ観光の目玉であるカレル橋やプラハ城の聖ヴィート大聖堂、そして中央ヨーロッパで最初の大学であるプラハ大学を造ったのも、このカレル4世。今の美しいプラハの基礎を築いた偉大な王様なんだ!
4.宗教改革の先駆け「フス戦争」
カレル4世の時代に文化の頂点を迎えたボヘミア。でも、その裏でカトリック教会の腐敗が進んでた。そこに「教会はもっとちゃんとしろ!聖書に立ち返れ!」と声を上げたのが、プラハ大学の教授、ヤン・フスだ。
彼の改革運動は多くの人の心を掴んだけど、教会からしたら邪魔な存在。フスはだまされて捕らえられ、火あぶりの刑にされちまうんだ…。
これにブチ切れたのが、フスを支持するチェコの人々! 「フス先生を返せ!」って起こしたのが、ヨーロッパ中を巻き込む大戦争、フス戦争(1419年~)だ。この戦争を通じて、チェコ人の「俺たちはチェコ人だ!」っていう国民意識がめちゃくちゃ高まったんだ。これはテストに出るぞ!
どうだ? まずはここまで。ケルト人から始まって、スラブ人が国を作り、カレル4世の黄金時代を経て、フス戦争で国民の魂が燃え上がった。これが中世までのチェコだ。
この後、チェコはどうなっていくのか? 次はいよいよ、ヨーロッパの名門ハプスブルク家が登場して、チェコの運命が大きく動いていく時代に突入するぞ!
休憩したら、また声をかけてくれよな! 次の講義も、度肝を抜くほど分かりやすく解説してやるから、楽しみにしてろよ!